そのほとんどは、
オスマン帝国の支配下にあって
トルコ語を母語としていた
ムスリムの子孫である。もともとオスマン帝国の時代には「トルコ人」という民族意識は薄く、特にイスタンブルを中心とするエリート階層はトルコ語の一種である
オスマン語を共通語としていたものの、血統的な出自は必ずしもトルコ系とは限らず、自称は「
オスマン人」であって「トルコ人」は田舎に住み農業や牧畜に従事する人々を指す語であった。アナトリアのトルコ系の言葉を話すムスリムの人々をまとめて「トルコ人」と呼び、彼らの属すオスマン帝国を「トルコ帝国」と呼んだのは、むしろ
ヨーロッパなどの帝国外部の人々である。オスマン帝国時代には、
東ローマ帝国時代から
小アジア・
バルカン半島に住んでいた
ギリシャ人、
クルド人、
アラブ人、
アルメニア人、
スラヴ人などとの
混血が進んでいる。
ところが、
19世紀から
20世紀初頭にかけて、ヨーロッパで生まれオスマン帝国に持ち込まれた
ナショナリズムの思想が
キリスト教徒の諸民族の間に広まり、ギリシャを手始めにオスマン帝国からバルカン諸国が独立していき、一方で
ロシア帝国領のムスリムの間で生まれた汎トルコ主義(汎テュルク主義)がオスマン帝国に流れ込んで、エリート階層の間にも「トルコ人」意識が広まり始めた。